わたしたちは競争社会に生きています。
子供の頃は学力、運動能力を競争させられ、
大人になってからは、どの学校出身かとか、大企業に勤めているとか、
大きな家を買ったとか、高級車、高級な服やバックをもっているとか、
夫の年収がいくらかとか、昇進したとか、
子供が一流大学に合格したとか、
孫がコンクールで賞をとったとか、
他人と比較することを無意識に やってしまうんです。
わたしたちの心はいつも競争をし 続けてます。
誰かを蹴とし、誰かの未来を 踏みじり、
誰かの上に立つこと、誰かよりも強くならないといけない。
どうしてもそうなってしまうんです。
潜在意識に刻み込まれた競争意識
誰かより優れていると評価された時の、湧き上がってくる高揚感。
誰かより劣っていると理解した時の、胸がずっしりと重くなる感覚。
わたしの潜在意識には深く刻み込まれてしまっていました。
教育熱心な親のもと、
物心つく前から複数の習い事、地域のマラソン大会への参加など
競争が多い環境で育ちました。
一週間のうち、毎日学校が終わったら違う習い事に通う生活です。
土日も習い事です。
小学生の時から慢性的な肩こり、頭痛、吐き気があり、
病院では骨格の問題との診断を受けました。
いつも
「勝たなければいけない」
「上手くならなければいけない」
とのプレッシャーで心も体も悲鳴をあげていたんだと思います。
でも、性格はのんびりタイプで、体力がなく能力も低い。
努力もできない。
怒られないようにその場をやりすごす能力だけが身に付き、
習い事の内容は一切身につかず、
なにも成し遂げられなかった自己肯定感の低い人間ができあがりました。
「自分は弱くてだめな人間だ」
そんな気持ちを抱えて生きてきました。
弱い人間でいい
「 弱い人は 敏感な人です。
人の痛みや苦しみに敏感な 人を最終的に神様は応援してくれます。
あなたが自分は弱い人間だと思うなら、どうぞ弱いままでいてください。」
とメンターは教えてくださいました。
この競争社会での強さとは、
誰かの苦しみや悲しみに鈍感なことであり、
強さと鈍感さを勘違いしています。
メンターから学び、
比較や競争の世界から離れた時、
心からほっとしました。
もう頑張らなくていい。
弱くてもいい。
自分らしく生きていこうと思います。