みんなと違う道を選ぶ

【プロ社畜脱出】新しい世界に行きたい

小さな世界

何をやっても虚しい、生きることがつらい、人間関係が苦手ですぐ疲れる社会不適合者の私が、独りひっそりネットビジネスに出会い、メンターの松田悠玄さんから学んで本当の幸せを手に入れました。

20代後半から30代の半ばまで、毎日15時間以上働き、

月9時間までしか残業代はつけるなと言われ、

ほぼサービス残業という働き方をしていました。

 

ひどい時は34時間も会社の中にいる生活を送っていました。

やってもやっても仕事が増えていき、TO DOリストは常に30件以上。

休日出勤は当たり前です。

 

疲れを通り越してハイテンションになり、

眉間に刺すような痛みを感じたり、

後頭部がスースーするような不思議な感覚になったり、

心臓の裏あたりに痛みを感じるようになりました。

 

家に帰ると泥のように眠り、

朝にはまた出勤しなければいけない。

 

頭の中はいつも仕事のこと。

あれをしなければならない、あの人に連絡をしなければならない。

 

仕事以外の時間に好きなことををしたり出かけたりする気力はなく、

休みの日は1日中横になって過ごして終わる。

 

仕事をしている夢を頻繁に見たり、

「寝ている時に変な声出してたよ」と家族に言われたり、

嫌な夢を見て泣きながら目が覚めることもありました。

 

毎日がもうわけがわからない状態になっていました。

 

すべては自分が悪い

私は大学に行っていないので、

同じ年に入社した大学を卒業したばかりの同期の人とは給与が4万円ほど差があり、

しかも、私の年齢は20代後半での中途採用だったため、

「あなたは社会経験があるから」と

中堅社員がやるような仕事をさせられていました。

 

でも、給料は私のほうが低い。

昇給のペースも遅い。

こんな働き方で納得できなくても、

家族を養うために今は会社を辞めることは絶対にできない。

 

大学に行っていない私が悪い。

この会社を選んだ私が悪い。

こんなブラックな会社にしか入れない私が悪い。

こんな年齢の私でも採用してもらえて仕事があるだけありがたい。

 

そんなふうに思いながら不平等さに文句は言わず、

歯を食いしばって働きました。

 

わたしの心の支えだったもの

こんなブラックな環境の職場でもわたしが仕事を続けてきた理由は、

自分のできることで誰かの役に立てているなという自尊心でした。

 

私は障がいを持った方の人生を支援することが仕事で、

その方の人生が良くなったり、笑顔で喜んでくれたりすると

疲れていても本当に嬉しい気持ちになりました。

 

そして、同じようなことに喜びを感じる人が同僚や上司にはたくさんいて、

職場で助け合ったり、悩みをお互い共有できるような、

そんな恵まれた人間関係の中で働くことができていました。

 

みんな大変なんだから、大変だけど文句は言わず頑張ろう。

 

そんなふうに無理やり前向きに考えながら

自分にムチを打って出勤していました。

 

なにかがおかしい

上司も同僚も、みんな同じような働き方をしていました。

 

でも、その時はまだ洗脳にかかっていてわからなかったんです。

(今は完全にメンターに洗脳を解いてもらっています)

 

「利用者のみなさんのために」

「社会貢献のために」

 

ただ、福祉という名のもとに会社に搾取されていたということ。

 

それに気付いた人はどんどん退職していき、

私のような自分に自信がなく、

おかしいことに気付けない、

ここを辞めても他に行くところがないと思い込み、

ブラックな環境に文句も言わず、

利用者のみなさんのためと一生懸命働く、

そんな人しか会社には残っていませんでした。

 

会社の外で福祉の研修やイベントに参加した時に、

「あなたの会社で以前働いていました」と

声をかけてくださる方が何人もいました。

 

その方々は、会社を辞めてから、同じ福祉の仕事を選んで働いていました。

声をかけてくださりいろいろな会話をしている中で、

私を気遣うような憐れむような

なんとも知れない複雑な感情を感じることが多かったです。

 

入社してすぐに辞める人もたくさん見てきました。

その人たちは正常な感覚を持っていたんだなと今では心から思います。

 

上司との会話

ある日、別の部署の50代の上司と2人きりで

夜10時すぎまで残業をしていた時、

福祉の仕事っていろいろ大変だよねというような話の流れになり

つい、本音を話してしまいました。

 

自分は社内での等級が一番低いのに

任されている仕事が中堅職員の仕事内容であることに不満を感じていること、

残業が多くてつらいこと。

 

ある程度、なんでもざっくばらんに話せるような関係性の上司でしたが、

「余計なことを言ってしまった」と直後に後悔しました。

 

怒られるかな?と思いつつ、

上司からはこんな言葉が返ってきました。

 

みんなそうやって働いてきた。

自分の時はもっと大変だった。

異動して違う部署で働くとわかるけれど、

もっと残業が多く、もっと大変な状況で働いている人もたくさんいる。

まだ、あなたはマシなほうだと思う。

 

「そうですよね!明日からまた頑張ります!今日はお先に失礼します」

とそそくさと帰りました。

 

帰り道で「この会社から脱出しなければならない」と心に誓いました。

 

この日のことは今でもよく覚えています。

 

メンターとの出会い

その後は副腎疲労という状態になったり、

内臓の病気になってしまい、

自分の体を酷使してきたツケがやってきました。

 

「もっと私を大切にしてくれませんか?」

という体からのメッセージでした。

 

それから数年で他の部署に異動になり、

頭がおかしくなるくらいの状況はなくなりました。

 

そして、2024年の年末にYouTubeでメンターの松田さんに出会い、

自分の人生を変えるチャンスが訪れました。

 

今でもメンターとの出会いは運命だなと感じます。

 

往復3時間の通勤時間に

メンターの音声教材を聞きまくっています。

 

わたしは「独りひっそりネットビジネス」で

完全に家で働くことが目標です。

これからも学び続けていきます。

 

この動画を見て、このブログを書こうと思いつきました。↓

メンター、いつもありがとうございます。

 

 

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